似て非なる「達人」と「マスター」 割り切ればラクラク中国語

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これまで中国語「マスター」と中国語「達人」という二つの概念の相違について考えてきました。似て非なるこれら概念についてねちっこく話を続けたのは、これが中国語学習において最重要項目の一つとなる「学習目的」に直結するからです。

まずは達人を目指すのか否か。もし達人を志すなら人生を中国語に捧げる覚悟をしてください。そのつもりがないのなら達人になろうなんて考えは持たない方が良いでしょう。

達人になるつもりがなければマスターすれば良いだけの話になります。これなら話は(場合によっては)簡単です。自分に必要となる中国語力を身につければ良いだけなのですから。

似て非なる「達人」と「マスター」

通訳のような中国語専門職でもない限り、必要になる中国語力を身につけるのはそれほど難しいものではありません。必要となる能力というのは往々にして現実的なレベルで切迫性がありますから、なんとしても身につけようという強い学習動機が働くからです。

およそ継続を要求される習い事(語学も習い事)を身につけるには強く且つ継続的な学習動機が大きな意義を持ちます。この点を考えると、すぐにでも生活や仕事の上で必要になるというものほど強い動機付けは他にはないでしょう。

また、必要となる中国語力というのは実際に使用する中国語でもあるので、その範囲内については日を追うごとに熟練していきます。また、一定期間以上日常的に頻繁に使用した能力というものは、その範囲においては記憶の定着が著しく、退化しにくいという利点もあります。

これは達人を目指す学習者の場合と比較するとよりわかりやすいかもしれません。達人を目指す学習者は一生のうち一度出会うかどうかもわからないような語彙や表現まで覚えていきます。

覚えたところで日常使わないので忘れます。何せ一つや二つというレベルではなく、何百何千何万という表現を頭に入れようとしているのですから忘れるのも無理はありません。正常な生理現象です。

達人はこの自然の摂理に逆らって学習を進めていきます。言わば上流に向かって泳ぐ泳者のようなもの。必死に手足を動かしても前にはほとんど進まず、逆に少しでも気を抜くとあっという間に下流へ流されていってしまう......達人への道の厳しさはここにあるのです。

同じ喩えを引くなら、必要になる中国語力を身につけるだけ、とは上流から下流に向かって泳ぐようなものです。日ごろ使っているのですから特に復習しなくても自然と記憶が固まっていき、熟練していきます。楽なものです。

割り切ればラクラク中国語

より具体的な例を出してみましょう。例えば、夫の中国赴任で中国に拉致されてきた(笑)ご婦人の場合は家から一歩出れば即中国語空間が広がっている訳ですから、その気になれば日本で中国語会話を学ぶ学習者より日常会話の上達は早くなります。まぁ日本人のご婦人方で固まってしまい、プチリトル東京なるものを形成してそこに入り浸っているなら話は別ですが。

日常の業務の中で中国語を使うビジネスマンなら、業務の中で使う中国語については上達が早くなります。「仕事」という避けて通れない差し迫った理由があるのですから無理もないでしょう。まあビジネスの場合は比較的低い中国語力でも対応できる仕事もあれば、かなり高度な中国語力を要求されるものもありますので一概には言えませんが。

現役大学生で「中国語を就職の武器」に、と考えている方も少なくないのでは、と思います。このような場合はビジネス用途を仮定することになりますが、より現実的にはHSKなり中検なりで一定の級を取得するのが目的となります。なんたって履歴書の資格欄に記入できますから。

このようなケースでは中国語が即必要になるという訳ではないので動機付けが弱くなります。

また、このような場合学習自体が体系的なもの、いわゆる典型的な「お勉強」になりますから、覚えたものを即実践で使える訳でもありませんので忘却との戦いを強いられます。学習者の意思の強さが試されることになるでしょう。

この他にも、例えば中国医学を志して中国語を学ぶ人と、キャリアアップとして中国語を学ぶ人では学習の重点が異なってきます。学術系の場合は読み書きが中心となりますが、ビジネスの場合は口語が重要になってくるのは言うまでもないでしょう。

単に日常会話ができればよし、とする人と、通訳になりたい、という人では要求されるレベルに天地の開きがあります。前者なら「つまらない」と感じる学習方法はすべて排除して学習プランを組み立てることだって可能ですが、後者では好き嫌いよりも学習の効果効率を優先して学習プランを構築しなければなりません。通訳や翻訳のような中国語専門職を志す人はもともと要求されるレベルが高い上、そのような中国語を運用する機会自体ご婦人方の日常会話ほど多くはないためです。

だからこそ、自分にとって必要になる能力がどの分野のもので、どの程度のものなのか事前に決めておくのは中国語を「マスター」する上で非常に重要になります。

中国語をツールとして割り切って考えれば、とりあえずは必要最低限の中国語力を身につければ良いのですから、必要ない分野項目についてはバッサリと切り落としてしまうのです。量が少なくなれば学習の負担も大幅に軽減されますし、ゴールも近くなります。ゴールが近くなれば挫折する可能性も低くなります。良いことづくめなのです。

もし中国語を使用する切迫した理由と環境があるのなら、とにもかくにもツールとして使い物になるレベルを目指すのが中国語習得の最短コースとなります。その上でさらに上を目指すかどうかは学習者次第。ただ、少なくとも、そのときのあなたはすでに中国語を「マスター」した中国語使いなのです。