本当に二ヶ国語は必要なのか

これまで英中二ヶ国語の習得について綴ってきた。繰り返しになるが、最も重要なことなので、最後に改めて「初心」に立ち戻って考えてみたい。

後悔することになるかも

二ヶ国語の習得を始める前に、今一度究極の問いに立ち戻って考えてもらいたい。本当に二ヶ国語が必要なのだろうか。

日本人は英語が苦手だ。その一方で、グローバル化の進展を受けて、英語需要がこれまでになく高まっている。国も英語教育に力を入れるようになり、また英語教育に熱心な父母も増加している。あと十年もすれば、日本でもビジネスマンなら英語はできて当たり前という時代が来るのかもしれない。

このような時代に身を置くものが、英語を身につけたいと思うのは自然なことだ。また、志の高い人ならば、英語がスタンダードとなるのならば、英語だけでは差別化できない、ということで、中国語などの第2外国語を身に付けようと考えるのも不思議ではない。

しかしながら、現実社会においては、英語と中国語の双方が必要になることは多くはない。この連載のはじめにも述べたように、中国語が要求される部門は、多くの場合英語がスタンダードであるのは確かだが、では実際の業務において本当に英語が必要になるのか、というと、必ずしもその限りではない。また、英語が必要であったとしても、ごく限られたものである場合も多い。

これと同じく、英語をメインとして、差別化のため多少の中国語を身につけたとしても、実際には中国語を必要としない部門に配置される可能性も小さくない。また、英中2トップ作戦で二ヶ国語をマスターしたとしても、現実には実際に高度な二ヶ国語が要求される職などほとんど存在しない。

語学力は使わないと落ちていく。せっかく身につけても、使わないと退化していく。それが嫌ならば、貴重な余暇の時間を削ってでも、語学力を維持するための学習を続けなければならない。語学力をキープするのにもコストがかかるのだ。いわゆる維持コストである。喩えるならば、分不相応な箱モノを建ててランニングコストに喘ぐ地方自治体のようなものだろうか。

あくまで外国語はツールであるという「実用主義者」ならば、本当に使い道があるか否かわからない外国語に時間を費やすことが苦痛に感じるかもしれない。結果として学習がおざなりになり、使わない方の言語は廃れることになるかもしれない。

後になって、「あの時の~語は時間の無駄だった」と後悔することになるかもしれない。これは個々人の性格によるところも大きいと思うが、このような事態が発生する可能性があることも付け加えておきたい。

ポジティブ思考も大切

ネガティブな想定を続けてきたが、二ヶ国語はキャリアの第一歩を踏み出すために必要だったもので、数ある資格の1つに過ぎない、と開き直れるならば問題はないだろう。また、語学は仕事のためばかりではない。語学力はプライベートの空間を広げてくれる。そのように考えれば、語学力を維持するための学習であってもモチベーションを維持しやすいだろうし、キャリアにとってもプラスに働くこともあるかもしれない。

いずれにせよ、二ヶ国語の習得にはポジティブ思考も重要なのだ。この点においても、語学は人生に重なるところがあるのかもしれない。

終わりに

この連載はここでひとまず終わりとしたい。この連載は、あくまで中国語学習者の視点から英語について考えてきたが、英語学習者の視点から中国語を見ると、また別の世界が広がっているものだ。こちらについては別の機会に考えてみたいと思う。また、英語及び中国語の具体的な学習法についても、稿を改めて紹介したいと思う。

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Time:
2014-03-06 Last modified: 2014-03-06