直接法と間接法~中国語脳VS翻訳脳

これまで数回に分けて、中国語学習法の構築において考慮すべき主観的客観的要素をそれぞれ列挙し、考察してきた。ここからは一歩足を進めて、既知の外国語学習方法論を足がかりにし、個々の学習者に最適化された学習プランを構築する方法を探ってみたいと思う。

「直接法」と「間接法」

外国語学習法の方法論の一つに「直接法」と「間接法」なるものがある。

直接法とは母語、我々日本人の場合は日本語を介さずに、中国語ならば中国語を用いて学習する方法である。中国留学はこの形態の典型で、授業も中国語、テキストも中国語(英語がついているものもあるが)で授業がが進行する。昔の話になるが、かつてウサギがトレードマークであった駅前英会話スクールが、CMで謳っていた「外国人は文法なんか使わな~い」という方法論も直接法と理解して良いだろう。語学通信講座で「英語脳」なり「中国語脳」なりをアピールしているものもおおよそ直接法を採用している。「聞いているだけで話せるようになる」というものはその典型例だ。

一方の間接法は、学校英語教育がその典型例であろう。あれはまさに間接法の世界である。もっとも、最近はかなり変わってきているようだが、筆者が日本を離れて日が経つので、この辺りの事情には疎くなっていることを付け加えておく。

直接法を採用すると、そのうち頭の中で日本語を介さずに、「中⇔中」の形で処理されるようになっていく。中国語で理解し、そのまま中国語で表現する、俗に「中国語脳」と呼ばれる物がこれに当たる。一方の間接法では、中国語を日本語に変換して理解し、日本語を中国語に変換して表現するという処理回路が形成されていく。頭の中で「中⇔日⇔中」と翻訳変換することで中国語を処理するものだ。

直接法と間接法の話は「どちらが優れているのか」という方向へ流れがちだが、筆者はそれぞれに長所と短所があり、学習者の目指すもの、要求されるもの、また学習レベルに応じて取捨選択するのが良いと考えている。そこで、それぞれの方法論において、利点と欠点を明らかにすることで、その正しい使い方を考えてみることにしたい。

直接法の利点と欠点

直説法の利点は、何と言っても処理速度が速いところにある。日本語を介さないので、リスニングにせよ会話にせよ反応が断然早くなる。また、中国語のまま理解し、表現するので、母語に影響された「らしくない」表現も少なくなる。いわゆる「日本語に引っ張られた表現」が大幅に減少するのだ。

巷で言うところの「中国語脳」とはこのような処理ができる能力のことを指す。一見すると非常に高度に感じるかもしれないが、一定量のリスニングを行い、そこそこの語彙量があれば、基本的には誰でも構築できるものなのだ。

このように書いてくると良いこと尽くめに感じるかも知れないが、欠点もある。最大の欠点は退化が早いところだ。中国語を使わない環境に戻ると、中国語力が急速にが退化していくのだ。帰国後会話力が落ちたと嘆く留学生が多いのはこのためである。中国留学では直接法で学ぶので、中国という理想的な環境の中にいる間は良いのだが、日本に戻りその環境から離れると、あっという間に会話力が衰えるのだ。

また、高度な表現を行う場合、それ相応の地力が要求される。中国語で論理的に思考する能力が必要となるのだ。

間接法の利点と欠点

間接法の利点は母語である日本語能力を借りることができるところにある。語彙、フレーズを文法語法ルールに基づいて中国語に変換していくので、中国語力が高くなくとも、高度な論理性が要求される表現も可能だ。また、語彙、フレーズ単位で日本語に引っ掛けて覚えていくので、長く中国語を使わない環境にあっても、中国語力の退化は直接法の場合と比べ遅くなる。

欠点は処理速度がどうしても遅くなるところにある。翻訳作業が加わるので、こればかりは如何ともできない。もちろん、レベルが高くなれば翻訳時間は圧縮できるが、そこまでのレベルに達するだけの時間的余裕があるのならば、直接法で学んだ方がより優れた中国語話者となるであろう。

なお、この形態の行き着く先は通訳である。間接法において直接法と同レベルの処理速度を求めるのならば、相当な訓練が必要になることを付け加えておく。

また、日本語から翻訳して表現するので、中国語的に不自然になることが多い。文法語法的には間違っていないが、中国人はそんな表現はしない、というケースが直接法の場合と比べ多くなる。

卑近な例を挙げるのならば、「いただきます」や「ごちそうさま」に相当する中国語の慣用表現は存在しない。翻訳作品では「いただきます」を"我吃了"などと訳すが、実際の中国人はこの表現を日本語の「いただきます」のように使うわけではない。翻訳の便宜上、このように訳しているだけだ。

このように、社会的文化的な背景を強く持つ表現は間接法では対応しにくくなる。どのような表現が日本語特有なものなのか、また、中国語特有の表現にはどのようなものがあるのか、別途把握しておかなければならない。

用途から見る直接法と間接法の選択

両者の取捨選択は、まず第一に要求される中国語の使用頻度に基づいて考えるところからはじまる。中国語はたまにしか使わない、という場合は、抗退化力に優れる間接法が良い。直接法では常に学習し続けなければ中国語力を維持できないため、維持コストが間接法より大きくなる。

間接法の場合、表現は多少たどたどしく、また反応も遅くなるかもしれないが、通訳ではないのだから、相手方の中国人もそれについてああこう目くじらを立てることはまずないだろう。逆に、懸命に中国語を使おうとするその姿勢を好意的に評価して可能性すらある。

使用頻度が高いのならば直接法の方が処理が早く、より自然な表現をしやすくなる。使用頻度が高いので退化の心配も小さい。

進捗度から見る直接法と間接法の選択

直接法を採用する場合でも、学習の進捗としては、まず間接法から入ることとなる。間接法は文法などの基礎学習に向いているので、初級レベルにおいては、間接法を採用する方が定着が早いのだ。ただし、リスニングについては、始めから極力直接法で聴解を行うように努めるのが望ましい。聴解不能なリスニングを続けるのは辛いものだが、これができれば後々楽になる。可能な限り、中国語のまま理解するよう努めてみてほしい。

初級修了レベルに達すれば文法はほぼ完成したことになるので、直接法を軸として学習を進めると良いだろう。通訳は必要に応じて別途訓練を行う。実のところ、直接法で中国語を十分に運用できるレベルは、通訳の基礎条件に過ぎない。ここから過酷な訓練を経て、はじめてプロとして自立するのだ。

プロの世界は厳しい。その割には軽く見られてしまうのが日本の悲しき通訳事情である。本当に中国語に人生を捧げる覚悟がない限り、プロの道はおすすめしない。

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