“二奶”“第三者”“小三”~中国の「愛人」たち

新政権が発足した中国でまた腐敗一掃運動が始まっています。トラもハエも叩くと意気込んでいますが、中央でひな壇に居並ぶトラの皆様の中にはまだ犠牲者は出てません。大きな政争でも起きない限り獲物にはならないんでしょうけど。

その代わりと言っては何ですが、地方では大きなハエから小さなハエまでパタパタと叩き落されています。中にはカネと縁のない貧乏部門のトップが規律検査当局にしょっぴかれ、拷問の末死亡したなんていう話もあります。規律検査当局にもノルマがあるらしく、後ろ盾がないこの役人がその犠牲になった、という見方もあります。もちろん、真相は闇の中、ですが。

ほとんど毎日のように報道される腐敗役人の転落記ですが、その特徴として突出しているのが「愛人」の存在です。統計によると、汚職官僚は十中八九愛人を囲っており、中には愛人との性交動画がネットにリークされたり、愛人が汚職官僚との愛憎記録を小説にしてネットで発表したりするようなケースまで存在します。今や愛人が最強の汚職摘発捜査官であると揶揄されるほどに。

もっとも、中国では官僚に限らず、商売などでカネができると愛人を囲うのがセオリーとなっています。まぁこれは中国に限らない話でもあるのですが、中国は貧富格差のため愛人コストが低く、また金銭至上主義が蔓延してしまったこともあって、その傾向が一層強いようです。官僚が愛人を囲うのも、結局のところ官僚という商売がカネになるからなのでしょう。

二奶

前置きが長くなりましたが、愛人は中国語で“二奶”と言います。中国語で“爱人”と言うと配偶者の意味になるのは有名な話ですね。「私の“爱人”です。」と紹介されても驚いてはいけません。

愛人を囲うことは“包二奶”と言います。日本では「囲み」、中国では「包む」……微妙な違いです。まぁ、中国語の“包”には「囲む」という意味もあるんですが。愛人はやっぱり囲うものでしょうか。

“二奶”という言葉は元々は妾を指したのですが、今では広く愛人を指します。愛人が複数いる場合は囲った順番に“三奶”“四奶”……と数字を増やして表現することもできます。また、“N奶”とすることで不特定多数の愛人(の中の一人)を表したりもします。応用としてはかつての“一夫一妻多妾制”に引っ掛けて“一夫一妻多奶制”なんて言ったりもしますw

「愛人」という意味だけに貶義語だったのですが、“二奶维权”(愛人権利保護)なんていう言葉が生まれているように、マイナスの語感は薄れてきているみたいです。

ちなみに“二奶村”と呼ばれる中国人の愛人集中居住区がなぜかロサンゼルスに存在しており、汚職官僚の愛人もたくさんいるらしいです。

第三者

俗にいう“二奶”ですが、これとは別に“第三者”という表現もあります。“第三者”は日本語と同様に当事者以外の者・団体を指す言葉ですが、愛人の意味も合わせ持ちます。“二奶”との相違点は、“第三者”という字面の通り、男女を問わず使うことができるところでしょうか。表現としては“二奶”よりも早く生まれたものですが、今では“二奶”の方がよく使われるようです。

“第三者”は“第三者插足”(愛人が夫婦の関係に割ってはいること)なんていう表現に見られるように、婚姻を軸にして見たもので、少し硬い表現になります。

なお、“三奶”“四奶”を模して“第四者”“第五者”……とすることはできません。“第三者”はあくまで“第三者”です。“第四者”という表現はありますが、これは「友達以上、愛人未満」という微妙な関係にある者を指して言う新語で、まだ社会的に認知されるには至っていません。

小三

このちょっとお固い語感の“第三者”を蔑視する表現として生まれたのが“小三”です。中国語ではアタマに“小”を付けることで蔑称になります。例えば日本を蔑視していう“小日本”なんかが有名ですね。

“小三”はマイナスの語感が薄れてしまった“二奶”に比べ、まだ強い貶義的ニュアンスを持っています。“二奶”がどこか部外者目線であるのに対して、“小三”は夫(もしくは妻)に裏切られた妻(もしくは夫)目線の表現というような感じでしょうか。一昔前なら夫の愛人と対面した妻が愛人を罵っていう呼称は“二奶”でしたが、今ならばほぼ間違いなく“小三”だと思います。

もっとも、社会は多様化しており、昨今は“小三”と罵られる愛人たちも黙ってはいません。“三”にちなんで3月3日を“小三节”こと「愛人の日」にしようとぶち上げ、早くも主流社会や正妻たちへの挑発を始めているようです。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加