終わりにかえて ~ 「最高最良最強」中国語テキストの幻想

最後に、全体を振り返ってテキスト選びの所感について書き残しておきたいと思います。

最後は確率問題

テキスト選びの難しいところは、無論個人差はあるのですが、そのレベルのテキストが必要なくなったレベルに到達してはじめてそのレベルのテキストの良し悪しがわかるところにあります。

わかりにくい言い回しですが、つまるところ中級に到達すれば入門初級レベルのテキストの良し悪しがわかるようになり、上級レベルに達すれば中級レベルのテキストの良し悪しがわかるようになるということです。

要は相場解説記事みたいなもので、わかったときにはもう遅いわけです。

そこで、多くの学習者が中国語の先生の意見や当該のテキストを使用した人のレビューを参考にすることになります。

これは確かに有効な方法ではありますが、一方でテキストには相性というものがあり、他人にとって良いと感じられるものが自分にも向いているとは限らないという問題をはらんでいます。

これは永遠の課題です。人に個性が存在する以上、万人にとって最高最良無比のテキストが存在することはないのですから。

結局のところは、確率問題として、全体的な評価の高いを選択することとなります。学習者自身の傾向や置かれている環境が標準に近ければ近いほど、好ましい結果を得る確率が高くなるでしょう。

「最高最良最強」テキストは存在し得ない

結局何が言いたいのか、と言われそうですね。要は、個々の学習者に共通する最良のテキスト、ひいては学習法などと言うものは存在しないのです。

教育論としては存在し得ます。被教育者である大衆を一般化し、平均的なケースを抽出して方法論が組み立てられる訳ですから。

しかしながら、独習者の立場から考えた場合、個々人の性格、趣味、傾向、学習目的、学習環境は千差万別なので、「最高最良最強」などというものはあり得ません。

ネットが普及してからというもの、「最強」を謳う語学学習法を唱えたものが少なからず世に出回っています。読んでみるとほとんど個人的なケースでしかなく、とても体系化されたものではないのですが、本人はすごぶる本気です。

テキストの世界もこれに同じです。特に英語業界に顕著なのですが、「最高最良最強」を謳うテキストが少なからず存在します。比較的高額で有名なものでも然りです。

研究者でもないのですから、個人が自分の成功体験に錯覚するのは無理もないのかもしれません。企業は商売ですから、インパクトのあるセールス文句を使うのも当然でしょう。

大切なのは、独習を進める学習者が、今の自分にとって必要な項目が何であり、それを学習するための方法に何があるのか、そしてそれら方法の中で自分にとって最適なものが何であるのか、それをどの程度の強度で、どれだけの時間を配分するのか......という点を、常に問いながら学習を進めることです。

難しいですが、実践し続ければ学習効果は間違いなく高まることでしょう。まぁ、言うは易し、なのですが......