バイリンガルと留学生に見る母語力と言語力の関係

前項では「先天的」バイリンガルの語学力について考えてきたが、バイリンガルにこだわったのは、彼らの事例が我々のようなモノリンガル国家でモノリンガル教育を受けてきた日本人の中国語習得法を論ずるのに大きな一助となるからだ。

一般人の外国語運用能力に対する見方は、往々にして表面的な部分に流れてしまう。繰り返しになるが、一見すると日中両言語を自在に操っているように見える日中バイリンガルも、どちらか一方の言語能力が日常会話レベルだったり、両言語についてモノリンガルの母語運用力に比べやや遜色が見られるというケースが多い。

言語は文化の基盤

話が少し飛躍するが、言語はただ単なる会話の手段に止まるものではない。ただ単に日常会話ができれば良し、とするのならバイリンガル教育万歳となるが、言語はその社会・国家・民族の文化と伝統の継承媒体であり、その継承発展はその社会・国家・民族を構成する人々の言語力に大きく依存する。

単に経済効果を考えるのならば、母語のレベルが相対的に低くても外国語会話ができる人が多い方が良いのかもしれないが、文化というレベルからこの問題を考えるならば、深い思考力とそれを伝達できる高い言語力に乏しい層が増大することは、その国や民族の文化の衰退に直結する。言語は文化の重要な基盤なのだ。

シンガポールのような移民都市国家の場合は伝統云々より経済効果を優先させるのも一つのあり方だとは思うが、日本のように独自の文化と長い歴史を持っているような国では、それは許されない。日本文化を継承できるのは日本人だけなのだ。

そんな大きな話は自分には関係ない、と思われる方もいるだろう。そんな話は日頃ふんぞり返っているおエライ様方の仕事だ、一日一日を懸命に生きて、少しでも暮らしが良くなるよう日々奮闘している一般庶民にとっては、より実用的な日常会話レベルの言語能力の方が重要だ、という意見には筆者も賛同する。

言語力が命

では、一般庶民たる我々は、外国語を身につけるためなら母語を軽視しても良いのか、というと、残念ながらそれは無謀と言う他ない。

中国語だろうが、日本語であろうが、はたまた英語・韓国語・ドイツ語・フランス語であろうが、いずれも言語には変わりない。言語というのは面白いもので、複数の言語を身につけていても、それを支える言語能力の中枢部分は共通のようなのだ。

少しわかりづらいので例え話にしてみる。WindowsXP以降のOSは多言語対応で、外国語フォントやIMEがプリインストールされている。日本語のOSでも、IMEさえ切り替えればすぐに中国語を入力することができるようになっている。最近のパソコンしか知らない人には意外かもしれないが、一昔前は、別途ダウンロードしてインストールしなければならなかったのだ。

例えて言うなら我々が学ぶ外国語はIMEのようなものだ。そしてOSが言語能力に相当する。外国語、果ては母語自体も、その母体となる共通の言語中枢に依存しているのだ。そしてこの言語中枢は幼少期からの言語教育により発達していく。高度な言語運用能力を支える言語中枢は、高度な言語教育によってのみ形成され得るのだ。

バイリンガル教育は2つの言語を注ぎ込むのだが、言語が増える分、1つあたりの言語能力は相対的に浅くなる傾向がある。言語教育に十分な時間を投入できるのなら問題にならないのかもしれないが、教育は言語だけに止まるものではない。単純に「高度な言語教育」という点を比較するのならば、モノリンガル教育の方が圧倒的に有利なのだ。

そして恐ろしいことに、この言語能力は外国語習得においても重大な影響を及ぼす。言語能力の高い人は、外国語習得の速度も相対的に速く、また、高い運用能力を身につけることができるが、言語能力が低い人は習得速度が遅い上に、ある一定の所まで達すると、進歩が止まってしまう。

留学中の発見

筆者が母語の大切さに気づいたのは留学時に遡る。筆者が留学した学校は日本からの留学生が多く、日本人留学生の中国語を聞く機会が多かったのだが、母語である日本語と、外国語となる中国語との関係について面白い発見をした。

一般的に中国在住期間が長いほど中国語の会話力は高くなるのだが、中国語のレベルが高い人ほど、日本語会話時の癖が中国語にもそのまま反映されていた。また、日本語で表現力の豊かな人は中国語の表現力も豊かになる一方で、ある意味日本語が「おかしい」人は、中国語でもいまいち的がはずれた表現しかできないケースを多々目にしてきたのだ。

全体的に高い中国語力を持っている人は、日本で高学歴を持っているというケースが多かったように思う。大学受験に失敗して中国に送り込まれてきた者と、それなりの大学に在籍しているか、或いは卒業している者ではかなり顕著な差が存在した。

もちろんこれは言語能力のみならず、学習能力そのものや学習に対する意欲なども絡んでくるため、学歴のみで断定することはできない。ただ、他に母語能力を測る術がないのであくまで参考として理解してほしい。研究者ではないので広範に調査した訳ではないのだが、少なくとも筆者の身近では、全体的に上記のような傾向が強く見られた。

読書のすすめ

一定の年齢を過ぎてから習得した外国語は、絶対に母語を超えることはないとされる。ということは、母語のレベルが低ければ、外国語の上限も限られてくるのだ。

では母語の言語能力を育成するにはどうすればよいのだろうか。

この点については、著者は読書を強く推奨している。特に青少年期の読書は、言語能力の向上という点から見ても、また思想形成という点から言っても、一生の財産になるのは間違いないだろう。青少年期ほど顕著な効果は期待できないかもしれないが、中年期以降でも、活字に親しむことで言語能力を磨くことは可能だと思う。

いずれにせよ、本物の中国語を身につけたいのならば、まずは母語である日本語を大切にするべきだ。中途半端なバイリンガルになるよりも、高い言語能力を持つモノリンガルになる方が良いだろう。国語能力が高ければ中国語の上限も高くなる。国語に自信がないのならば、始めから中国語の達人など志すべきではない。

もちろん、国語がダメだと外国語が習得できないという訳ではない。「マスター」すれば良いのだ。実用部分を習得して卒業とする。究極的な話、「達人への道」とて道楽に過ぎないのだ。